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不良出版社報


日記のページ



交通事故

せっかく日記ページが有るのにちっとも喋っていないというのは、なんとももったいない。けど、なんでも書いていいとなると何も思いつかないのもモノグサな性分としてはまったく否めない。

というわけで、自動で単語を選択してくれるツールを使ってお題を引っ張り出すことにしました。どこまで続くかわかりませんが。


で、『交通事故』。

左卜全とひまわりキティーズの楽曲「老人と子供のポルカ」の第2番にはこんな歌詞があります。

やめてケレ やめてケレ やめてケレ ジコジコ

やめてケレ やめてケレ ジコジコ パパヤー

ラララ ランラン ララララ ジコジコ

ランランラン ラララ ジコジコ

どうして どうして ジコジコ パパヤー

おお神様 神様 助けて パパヤー

で、この曲が出た当時、1970年の交通事故死者数というのが、16765人。交通戦争という言葉が誕生するのも無理からぬ死にっぷりですね。

結局死傷者、大気汚染といった問題に並んで渋滞という問題もモータリゼーションの最大の懸念事案として第一線を長らく張っており、そのアオリを受けて見事都市から路面電車やトロリーバスが消滅しました。専用軌道を車道に変えたら自由度が上がるので渋滞も減るだろう、という、なんとも甘い考え方です。

自分が今住んでいる京都でもこういう経緯で1978年に市電は全廃されてしまいました。もちろん、一概に路面電車を残すべきだったというのは、レトロスペクティヴが過ぎているか、あるいは復権という、ある意味で極端に革新主義的な発想であるということは考えなければならないでしょう。ただ、京都の交通事情は本当にひどくて(本当にひどい)、交通施策が大してなされないまま中途半端に地下鉄が出来、残りの路面電車は全部バスになってしまいました。路面電車を地下鉄で代替する発想というのは大阪や東京のような大きな都市では可能でしょうが、何本も路線を作れない京都くらいの街では地下鉄なんてものは、やはり大して意味を持つものではなく、長らく大都会であることのアピールに過ぎない存在として凄まじい赤字とトップクラスの運賃(の高さ)に現れてしまっています。京都という街を掘るにあたってかつての平安京やらの遺構のせいでどんどんと掘削費がかかってしまったという話がよく言われますが、沿線の観光地の少なさ、阪急・京阪との妙な融通のきかなさ、京津線を部分廃止させて高額な二重運賃と本数削減で窮地に追い込むという具合に今でもぎくしゃくしています。その上一番観光客が押し寄せる東山通も連日バスが団子状態にひしめきあい、渋滞解消のための路面電車撤廃とはなんとやら、東山三条から京都駅まで酷いときは1時間かかる。ひでえ。

実際のところ、京都の道を歩くと、うわ、よくこんなところ軌道で占拠してたな、というくらいどこもかしこも道が狭いわけで、正直なところ今さら路面電車を復活させたところでかえって混乱を招くことにしかならないのですが、かといってこのまま京都の道路事情をカオスのまま放置するのも、まあ、よくない。交通戦争というか、応仁の乱みたいになってしまいますね。市バスも均一区間での前払いを導入しようとしてたり、ぎりぎり頑張っている風には見えるわけなのですが、微妙な路線は逐次民営にぶん投げたりもしているわけで、自分が京都を出るころには多分解決に一歩も進んでいないでしょう……


全然交通事故関係なくなっちゃった。こんな感じで方向だけ決めて適当に突っ走る感じでやっていきます。そのうち読みやすくなっていくかな?

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関西コミティア54

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おひさしぶりです。ブログの更新も出来てないの駄目すぎませんかね……

そんなわけで申し込んでます。

頑張りたいです。何卒宜しくお願いします。

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いつのまに

関西コミティア一般で行ったんですけど、

DSC_0754~01

おお、載ってる。

この欄って有名じゃなくても載れるのね。誰が推薦したのかしら。身内かなぁ。身内でも嬉しいですね。

ただ惜しむらくはいろいろあってDIYが凍結中なことと、今回出展してないので宣伝にはならなかったこと。継続して出せよと言われたような気がします。

とりあえず1月は出ますが5月は一般でも難しいかも…というか一般で出れたらサークルで出ますよねぇ。

そんな感じです。

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フリクリオルタナの感想

というわけでフリクリオルタナ観てきた。最終日だったねー…

本題に入る前にオルタナのネタバレクッションがてらフリクリとはどんな話だったかというと、どこにでもいそうだけど若干自意識高めな小学生ナオ太がベスパ乗ってギターで殴るキテレツ女ハル子に出会ってすったもんだあった後に自意識を投げ捨てる話。

多分こんな話。

違うっけ?(無責任)

とにかく一番重要な要素は「自意識を捨てる」、つまり大人への背伸びをやめて子供然としようね、ということ。

ちなみにそういうストーリーラインの中でそれを阻むやつらとして出てくるのが歪んだ女子高生マミ美とナオ太に執拗に大人の対応を迫るアマラオとかそこらへんなのだけれど、やっぱりマミ美がラスボスなのである。最終回のボスだったし。

マミ美がどういう人物かというと、ナオ太の兄で野球で留学とかいうすごい才能を持ってるタスクに遠恋の末向こうで彼女を作られる形で捨てられ、その代替としてナオ太をまるで彼氏のように扱う女子高生。ナオ太の太で「たっくん」なんて呼んでいるがタスクのタであることなんて一目瞭然である。イニシエーション・ラブみたいですね。しかも学校ではいじめられているし、学校サボってタバコを吸っている。ナオ太も小学生なりにこの見るからに可哀想な女の子を守ろうとするんだけれど、マミ美が求めるのはタスクなので、(そうでなくてもタスクの弟としての自分を意識していただろーに)常にタスクと自分を比較してしまう(し、多分「俺ってダメなやつだなあ」とか考えちゃってる)。そして開幕のモノローグ「すごいことなんてない。ただ当たり前のことしか起こらない」がナオ太の口から発せられる。

つまり自分の力で現状を打開することが出来ない以上フリクリでナオ太が望んでいたものは外から現状をブチ壊しに来てくれる「すごいこと」であり、それがハル子(と愉快な仲間たち)だったということである。これ自分で打っててそうだっけ? って感じなんですけど大丈夫ですかね? とにかく、このようにしてメイン3人の御膳立がなされて話が開幕する。

まあこういう設定で頭が限りなくスイートな結末だったらハル子の活躍によりマミ美をとりまく状況もなんか解決してナオ太の荷も降りてハッピーエンド! みたいなオチだろうけどフリクリはそういう話ではないのでマミ美がナオ太にフラれ、ナオ太に「さよなら、ナオ太くん」と言い残し一応の成長を見せつつ街を出て退場する。そしてナオ太はハル子に「まだ子供だから」とフラれる。外的なトリックスターであるハル子は消えてしまうが、同時にナオ太の持つ鬱屈の最大要因であったマミ美も消える。こうしてもう背伸びをする必要がなくなったナオ太ではあるが、別に彼をとりまく環境が前と比べてめちゃくちゃ変わったかと言われたら実はそうでもなく、ラストのモノローグも最初と同じ「すごいことなんてない、ただ当たり前のことしか起こらない」とか言っちゃう。マミ美に関しては、むしろマミ美に接近すればするほど知らなくてよかった無駄に陰湿な世界を知ることになるし、ニナモリ達ともどんどん離れていくことが想像できる分、そちらの方が破滅的な印象を受ける。ともかくそんな感じですったもんだあったけどやっぱガキンチョは素直に日常やるのが一番っすね! という締めくくり方がされる。……されるよね?

ここまでが無印フリクリの話。

さてオルタナ。

正直なことをいいますと、アホだったので1話から「これフリクリなの?」みたいな気持ちが強く、それからずーーーっっとがんばってフリクリっぽさを探すというしょうもない作業をしては全然見つからね〜〜〜という感じになってもはや諦めかけてたんですが、5話でやっと気づいた。

これ、オルタナだったわ…

alternative…二者択一の、代わりの。おじさんは頭が悪いのでフリクリがpillows使っててギターが武器のアニメだから適当にフリクリっぽいロックジャンル持ってきて副題にしてるとしか考えていなかった。結論から言っちゃうとフリクリオルタナはフリクリのオルタナ、噛み砕いて言うと「フリクリ(固有名詞)じゃない方のフリクリ(一般名詞)」です。

オルタナのハル子以外のメインは4人。主人公カナブン、主人公の一番の親友ペッツ、美女ヒジリー、大食い(というかデブ)オシャレとかいうどっかで見たことある設定のモッさんの仲良しJK4人組。

第1話は本当に途中ハル子が突然登場して前作よろしくメディカルメカニカのメカと戦って場をかき乱しつつただ4人が楽しくロケット作る話であさりよしとお漫画みたいだった。(小並感)…まあ最後になんとなく、この世界を取り巻いている状況についてほんとうに不親切に解説される。ほかのところは懇切丁寧な癖に……えーと、で、2話と3話はメインが4人いると例に漏れず若干脇役になるうちの2人、要するにヒジリーとモッさんの抱える問題の話をみんなで解決するぞ〜! って流れになりハル子がメディカルメカニカのメカと戦って場をかき乱しつつ無事解決する話。第4話で主役カナブンにスポットがあたり、思いを寄せるクラスメート佐々木へのモヤモヤした恋心をハル子がメディカルメカニカのメカと戦って場をかき乱しつつ無事解決……って、

ハル子がメディカルメカニカのメカと戦って場をかき乱してなくても解決してそうじゃない?(適当)

4話まででオルタナにフリクリ(固有名詞)を求めていただいたいの人は無事脱落する。多分感想は「二度とこんなのフリクリとか言うんじゃねーぞ!」とかだと思う。

だってフリクリ(固有名詞)じゃないですもんねぇ……

ここで固有名詞としてのフリクリらしさとはなんだったのかを考えてみる。最もわかりやすいのはアニメーション的な実験(突然漫画みたいになる、表現が前時代的になる、他作品の執拗なパロディなど)とか、全編から寄せ集めて考えないと全くわからない世界観とストーリーとか、そういうところだと思うし、実際そういう一番目立つ無印らしい要素はオルタナではほぼ完全にスポイルされており、基本的にアニメーションは視聴者にやさしく作られ、カナブン達の地球をとりまく状況についてもめちゃくちゃ懇切丁寧に登場人物の口から発せられる。わかりやすすぎる、というか、優しすぎる。辛いカレーを頼んだのに甘いカレー来た、みたいな感覚になる。そりゃ怒る。「このカレー甘いぞ! こんなもの辛いって売ってるのか!」とか。

ここでもう一度オルタナの解説に戻る。

オルタナ5話ではメディカルメカニカが例のアイロンをマジで動かし始めるんじゃないか、という話が地球全土を覆い、火星の移住さえ本格的に始まってしまう、という展開が起こる。無印でMMのアイロンが「星を真っ平らにする」くらいしか解説されず、ナオ太達も呑気で街も全然非常事態じゃなかったことを考えると、まぁ普通はパニックになるよね、となるが、無印を見ていると逆に普通にパニックが起こっていることに違和感を覚える。が、ここはそんなに重要ではないのでパス。そしてペッツの家がイイトコなので4人の中でペッツだけが火星に行けることがわかるが、離れ離れになることを嫌がってかペッツは家に帰らない。そして1話でハル子が戦っていたロケット製作現場で、1話のメカがターミナルコアになるのに巻き込まれ、ターミナルコアと融合してしまう。そこにカナブンが駆けつけペッツを助けようとするが、ペッツはカナブンの極端な無垢さを拒絶する。結局カナブンのNOによってターミナルコアは吸収されペッツは助かるが、ペッツと和解する夢を見るカナブンをよそに(ハル子も懇切丁寧に引き止めるのに)その場を去る。

ココらへんで無印っぽさを求めていたのに無印っぽさが全然なくて落胆していたけどがんばって視聴していた人(=おれ)が「ん?」と思い始める。いやだって、これまでのペッツは4人の中で目に光がない(から2〜4話の展開より重めの問題とかあって、それが物語の最後を飾るのかな、程度にしか考えていなかった)知的枠くらいにしか思っていなかったのに、ここに来ていきなり無印6話のマミ美みたいな地位を獲得する。で、マミ美の歪んでいる様は無印1話からめちゃくちゃ丁寧に描かれているが、ペッツの家庭の様相とペッツ出奔の原因が明らかになるのは5話ぶっつけである。そして何より、これまでなんかカナブン世間知らずというか無垢すぎて心配になるけどまあハル子もいるしなんとかなるでしょ、この4人ズッ友だし、くらいに予想していた(というか若干諦めていた)おれはそれがいきなり拒絶され(まあ拒絶のされ方はありきたりだと思うんですけどね……)解決しないうちに5話が終わってしまうのでビビる。だって、4話までずっと、なんというかぬるま湯な感じでゆるゆる女子高生ライフやってきたじゃん、それを何よいきなり、みたいな気分。まああと1話あるし2話構成で重めに解決して終わるんじゃない? ぬるま湯だし、みたいな予想もする。その一方でもう一つ別の予想もする。

そして6話で当たったのは後者だったわけである。

6話。MMのアイロンに(ターミナルコアは前回吸われたので、別の?)手がのび、ついにアイロンが握られる、という無印を超えた展開が起こる。一言だけ苦言を言うと、ここの手はCGなんですが、実写加工を取り込んだ無印の方がセルルックでよかったです。まあそれはともかく地球は終末ムード満載で火星の移住ロケットもバンバン飛ぶ。第1話で自分たちで作ったロケットを打ち上げた浜辺に3人は行き、飛ぶ移住ロケットを見ながらペッツにさよならを告げるが、カナブンは言えない。そりゃそーだ。ここでハル子がやってきてカナブンのNOを発動させて真っ平らにされる地球をなんとかしようとする、というか、ロケットの奴ら以外も全部真っ平らにされる地球から救い出そうとする。そうしてマジで地球を平らにし始めるアイロンにカナブンは立ち向かい(アイロンは本当にアイロンでしたね……)、ペッツへの思いを叫びつつクソデカNO、というかほぼブラックホールみたいなのを作り出してなんかいろいろ全部吸い込んじゃって、最後は元のように学校へ行くのだが、もうそこにはペッツはおらず、3人しかいない。おわり。

…ペッツ火星行っちゃったね……。

4話までのぬるま湯極まりない流れからすると、6話でペッツがちっとも出てこず和解のワの字も出てこないことにとりあえずビビる。というか、結局離れ離れエンドでもちょっとおセンチにお互い謝罪したりするもんだろう、とおれは思うわけである。「所詮」フリクリのなり損ないだもんな、と思っていたから。ところが全然そんなことなく、ただカナブンは一方的に別れられ、届きそうもない思いを叫んで、一人で気持ちを整理せざるを得ない。ここに来てすごい普通の、重みを持った心情展開が行われる。

で、結局、おれが5話視聴時点で想定していたもう一つの予想というのは「この話はぬるま湯のまま雑なフリクリ無印の劣化続編で終わるんだろうな」という前者と真逆で「もしかしてこれフリクリのオルタナなんじゃね?」とかいうタイトル見れば気づくくらい当たり前のことであったんですが、オルタナがフリクリ(固有名詞)のオルタナである要素について。

カナブンは正直言ってアホである。いやよく読んだらアホとかではなくて本当にアホなので4話までの展開でもうわ〜〜〜無垢すぎて見てられへんという感じになる。でもカナブンがなぜアホかというと、それはカナブンが現状にけっこう満足しているからにほかならない。ペッツ、ヒジリー、モッさんという3人の親友に囲まれてロケット作っちゃえるし、それぞれの問題も解決できてしまう。(まあそれにはハル子が絡んでいるけど)これ以上の打開がなくても、カナブンの日常は満ち足りている。この前提状況がもう無印と異なる。ナオ太は非日常を渇望していたが、カナブンは日常が続くことを望んでいる。真逆なのである。だからナオ太にとって1話からハル子に生きている世界をブッ壊されてしまうことはカタルシスでしかなかったし、6話では学校もほっぽり出してハル子と街を飛び出してしまう。一方でカナブンにとって、世界をブッ壊されてはたまらない。MMの計画が発動し火星に移住してペッツと別れてしまうことは日常の崩壊であり、そしてペッツには4話まででみてきたような「日常らしい」あーぱーな説得はもう通じない。もう日常はこの時点で修復できない。おれはバカなのでイントロダクションの「毎日が、毎日毎日続いていくと思っていた・・・ 」という文字列すら見ていなかったんですが、そういうこと。

そして極めつけはラストの主人公の成長について。ナオ太は6話でアマラオからマミ美を守ることを勧められる。マミ美はタスクの代わりを求めるから、ナオ太がマミ美を守るならそれ相応の大人さが必要となる。だが結局ナオ太は大人のナリをしているのに子供のような振る舞いを起こすハル子に「好き」という。結局ナオ太は身体に相応しい子供でいることを選ぶのである。告白の直前、アトムスクと融合する前にターミナルコアに食われアイロンの手と同化するときのマークも「小人」であり、ナオ太の選択が明確に示される。一方でオルタナ6話でNOを発動する前のカナブンの額には「大人」のマークが浮かぶ。カナブンはペッツに明確に別れを告げ、親友が一人いなくなった世界に残る。一人きりだったところに幸せな日常を与えてくれた親友と別れ、一つの日常が終わってしまうことに痛みを感じながら進んでいくことになる。真逆ですね。

だからだらだら誰でもわかりそうなことを並べてきたけど結局はフリクリオルタナは無印としてのフリクリでは一切ないが、展開と過程はだいたいフリクリと同じなのでフリクリであり、描かれるものは対照的なのでオルタナティブ、オルタナである、よってフリクリオルタナの名に偽りなし、ということになる。

これに気づいたのが5話ってのがちょっと遅かったよね……

でもまあ、4話までは本当に冗長(に見えるように見せてるの半分、脚本が本当に冗長なの半分だと思う)なので、ここで気づいてる人偉いと思う。

ハル子は本当にトリックスター的地位を失ってアフォリズムねーちゃんと化しているし、アマラオ的ポジションだろう神田もなんかパッとしないが、多分これはキャラをスライドしたはいいものの子供が大人になるストーリーをやる上でみっともない大人やガキンチョ精神のねーちゃんを持て余したからですね……。

じゃあフリクリでやるなよって話だけど、フリクリのタイトルでやらないと無印見てた人に冷や水あびせられないからね。しょうがないね。

にしてもちょっとセリフが説明過多なところあったよなぁ……。

まあ総監督が踊る大捜査線とかの人だし、客寄せにメチャクチャなストーリーや行間飛ばし気味のセリフ使いにくいんじゃない?(適当)

商業の世界は複雑ですね。

あともう一つオルタナを見る上で大事なのは、当たり前のことだけれど無印は小学生の話で、オルタナは高校生の話、ということ。

ストーリーで提示される小学生のあるべき姿は背伸びせず子供として生きることで、大人になってもジュニア精神炸裂なハル子はその模範になるが、オルタナはあーぱーな子供がいつかは大人にならなければいけない話なので、ハル子がめちゃくちゃ暴れてたら扱いに困る。

そこの処理がうまく行かなかったのでオルタナでハル子が若干浮いてる、という話。

いっそフリクリの名前使ってハル子じゃない奴出せばよかったかもしれないけど、ビジュアルにハル子持ってこないと微塵も売れなさそうだからね……。多分出した結果も売れてないけど。

そんな感じ。

とりあえずオルタナの評価はボロクソに言ってる人もべた褒めしてる人も「フリクリじゃない」ところに主眼を置いているので、そういう評価の誘導が出来たところは褒めればいいんじゃないんですかね。おれはフリクリでオルタナやったことに凄くワクワクしたのでよかった。

あとはプログレですね……。オルタナの締まりが良すぎたので正直プログレって何すんの? って感じなんですよね。

森博嗣もS&Mシリーズみたいなの書いて下さいってファンに言われて「じゃあS&Mシリーズずっと読んでれば?」って返したらしいし、無印もう一回作られても困るんだよなぁ……。かといって真逆はオルタナでやっちゃったし。

ということは、無印がテーゼでオルタナがアンチテーゼなのでプログレはprogressiveの通り先進しなければならず、両者を融合し昇華させたジンテーゼ的な作品になっていてほしいという期待が寄せられる。難しそう。

ちなみに主人公は中学生らしい。

なるほどなー……。

一応ジンテーゼでいくという意志を感じますね……。

どうなるんですかね。

がんばって観に行こう……。

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名塩ニュータウンのこと

20180918

絵の順番が前後してますね……

おととい、西宮名塩というところに行ってきました。西宮名塩とは西宮のくせに宝塚から行ったほうが近いというふざけた(ほんとうにふざけていると思う)街で、しかもすごい山の中にある。でも、そんなにアクセスが悪いというわけでもないし、なにせ電車も道路もちゃんとしているのでそこまでひどい街ではないと思う。あ、でも、国見台はスカスカですね…

遠藤剛生という建築家がいるらしい。安藤忠雄と同年代で、この人が1990年代後半に建てた集合住宅がとにかく僕の好みなのである。検索したらすぐに出てくるので写真は挙げないけれど、階段や渡り廊下をとにかく多用し、個々の棟も乱雑に配置する。これによって集合住宅という画一性のハンデを背負った建物であっても有機的な町並みが形成され、都市の路地のような光景を生み出している。すごい。

今は住宅事情も、ほぼ二極化といっていいと思う。思うに、とても大規模なマンションか、一戸建てか、という具合。その中間になるような集合住宅群の存在は(一戸ごとに対してのお金がかかるので?)すっかり無視されているような気がする。まあなので一種の郷愁かもしれないんですけど、なんとなくサイバーパンクなので一度見に行ってみるとぐっとくるかもしれません。

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